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[SPECIAL] 矢島由佳子が「私宝主義」を聴いてヒグチアイに訊いた

  • 執筆者の写真: ヒグチアイ
    ヒグチアイ
  • 10月28日
  • 読了時間: 9分

更新日:10月29日




こんにちは。私は、ヒグチアイさんと同じ1989年生まれの音楽ライターです。

アルバム『私宝主義』を聴いていると「自分は何を大切にしているのか、何を大切にしたいのにできていないのか」ということが見えてきて、その気持ちを抱いたままインタビュー現場へ向かいました。

そしてアイさんにお会いして、11月に企画しているライブイベント『Play Like Kids♡with ひぐちけい、コレサワ、東京女子流、ヒグチアイ、のん』について話をしていたら、自然と雑談に……。

ヒグチアイという存在は、その音楽の通り、自分の弱音も悩みも吐いてしまうくらいの包容力があります。

そこに甘えて、「最近、疲れているんですよね……」という言葉をこぼしてしまったのでした。

これを読んでいるあなたも、最近、疲れてないですか? 

アルバム『私宝主義』と、ここで語ってくれたアイさんの飾り気のない言葉たちが、あなたの心を温めることを願って。


インタビュー・テキスト:矢島由佳子

 

"真面目に不真面目やるしかないよな"(バランス)


――最近、疲れているんですよね。主に仕事面なんですけど、「人のため精神」と「未来への不安」を原動力に動きすぎて、いつの間にか自分を削っていたなあと気づき始めて……。

 

ヒグチアイ:年齢的にもちょうどそれくらいの時期かもしれないですよね。最近、他の人ともそういう話になりました。20代は「何でもやります」「泥水すすります」でよかったけど、30代真ん中くらいになってきて、ちゃんと自分を求めてくれる人たちもいるってわかっているのに、20代の精神が抜けないから「これも頑張ったほうがいいかな」ってなって。やらなきゃいけないことの中に「何のためにこの時間を使ったんだろう」みたいな瞬間も出てきたりして。

 

――まさに! そうなんです……。アイさんが“バランス”で歌っているように、全力を注ぐことも大事だけど、そればかりだとダメだって気づき始めたり、真面目にやってきたけど真面目すぎなくていい場面がわかってきたり。〈真面目に不真面目やるしかないよな〉とか、この曲には刺さる歌詞がありすぎました。

 

ヒグチアイ:本当にそう。うまく調整を取れるようになってくる気もするし、でも身体も疲れてくるし。「昨日までのバランスが今日は違う」っていうこともありますよね。「去年はこのやり方で大丈夫だったけど、今年は無理」みたいなことはあるから、毎回バランスのメモリを変えていかなきゃいけないんだとは思うけど……でも、それができるようになってもつまんないしね、とも思う。


――おっしゃる通りですね。この年齢までくると、自分なりのやり方やバランスの正解を見つけた気でいるけど、自分の身体も立場も毎日変わることを自覚して、自分と向き合ってあげなきゃいけないなと思いました……。『私宝主義』は、誰かに与えるだけや献身的になるばかりではなく、自分のことを大切にしよう、っていうアルバムですよね。強引に話をつなげるわけじゃないですけど。

 

ヒグチアイ:いや本当に、その通りですよ。与え続けるほうが、人に喜んでもらえるから生きる上では楽なんだろうなって思っちゃって。私、割り勘が苦手で。たとえば2人でご飯に行って、お会計が5,500円だったとしたら、2,750円ずつ出せばいいのに自分が3,000円出して「お釣りは大丈夫」みたいにしちゃう。それは、自分が多く払っているほうが楽だから。貸しを作ったほうが返さなきゃいけない気がするから、与え続けちゃう。でもそれじゃダメなんだよな、自分のことを大事にしたほうがいいんじゃないかなって、最近思っているところですね。


――今回のアルバムはなぜ『私宝主義』というタイトルにしたんですか?

 

ヒグチアイ:これはさっきまでの話とつながっていて。自分が誰かに与え続けるほうが楽だと思っているのは、自分が誰かから何かをもらうことに対して申し訳なさや後ろめたさみたいなものがあるから。自分にはそれをもらう資格がないと思っちゃってるところがある。先の未来では、そういう人間じゃなくなっていればいいなと思うんだけど、『私宝主義』は、「自分は当たり前に人から愛をもらえる存在だ」と思えるように、まずは自分で自分のことを宝物だと思える人間になろう、っていうことかもしれないです。「別に誰に好かれていても、嫌われていても大丈夫」みたいな感じで生きられたら一番いいのかなって。今はできないけど、それが憧れかもしれないですね。


"私のこと 私だけが 貶すことを許されてる"(静かになるまで)


――“静かになるまで”で書いている〈私のこと 私だけが 貶すことを許されてる〉という一行が、私にはめちゃくちゃ刺さりました。アイさんがそうやって自分の価値を認めてあげられない姿勢が身についてしまっているのはなにが原因なのか、自己分析できているんですか?

 

ヒグチアイ:うんとね……私は真ん中っ子で、兄貴と妹がいて、自分は親に迷惑をかけないように生きようっていうのがすごくあって。「助けてあげよう」「ちゃんとしていよう」みたいな感じで、そこに対して母親が褒めてくれたり「アイちゃんはいい子だよね」って言ってくれたりしていたから、ちゃんとしていることにしか価値を求めてもらえないと思って生きてきた。だから自分が欲しいものとか、逆に嫌いなものがあまりハッキリしなくて。自分の意思がなく育ってきているのかなと思う。19、20歳くらいのときはそれに対して割り切れない気持ちがあって、今は憎しみみたいものはなくなったけど、その事実や考え方は残り続けている。そこにどうやって向き合っていったらいいのかなって思い始めているのが最近ですね。

 

――育った環境や親からの影響は、性格の根っこにあり続けるものかもしれないけど、そこから少しずつ自分を変えてあげられたらいいな、という感覚ですか?

 

ヒグチアイ:変わったらいいけど、変わらなくないですか? 割り勘で多く払いすぎるようなところも、ずっと変わらない気がして。きっと、変わらなくてよくて。「そうじゃない自分になれたら」って期待するのは、それでいいと思っていないということだから。そこも含めて今の自分が本当に好きになれたらいいなと思う。最終目標は、変わらなくても、許せるようになることかもしれないです。


"選べた人生を 選べなかったことも 誇って許して解いてあげたい"(花束)


――アルバム2曲目の“花束”は今話してくれたことが歌詞になっていて、なおかつ、アルバムで歌ったいろんな感情を肯定した上で、まさに花束をプレゼントしてくれるような曲だなと思いました。

 

ヒグチアイ:嬉しい、そういう曲です。このアルバムのまとめみたいな曲。自分の過去をどう位置付けたらいいかの答えはまだ出てないけど、それが「今のところの結論」っていう感じ。いつかこの曲の続きが書けたらいいなって思いますね。

 

"挟まれた 半端もんさ あきらめか ざまあねえな 

やるやつが やるだけだ 欲だけが 逆行させる"(エイジング)


――その“花束”や“バランス”に至るまでに“エイジング”みたいな曲があるのが、またアルバムとしてすごくいいなと思いました。〈パワハラしてるやつを庇いたい〉〈働かないやつを殴りたい〉とか、ここまでハッキリ書くのはきっと勇気がいったと思うんです。でもこの曲があることで、ただお利口にバランスを汲み取って「肯定」「許す」を綺麗事や願いのように歌うだけじゃなくて、人間の多面性を生々しく表しているアルバムになっているなと思いました。“エイジング”は、どういう気持ちから書いた曲だったんですか?

 

ヒグチアイ:そもそもこの話を書こうと思ったのは、友達から「年上の部下がいる」という話を聞いたことで。話を聞いてくれない、何か言うと機嫌が悪くなっちゃう、「できません」って言われちゃう、みたいな話を聞いて。しかも今ってSNSの普及で、声をあげた人間が被害者になって、その人のほうが強くなっちゃう、ということがあるじゃないですか。「もう一歩の踏ん張りが大事なんじゃないか」って言いたいけど、それは言っちゃいけないんだよな、という場面もある。そういうことを思っている人がたくさんいるだろうなと思って、でもSNSとかで言ったら絶対に叩かれるし、直接人に伝えるときはもっとマイルドにしなきゃいけないから、音楽の中で言ってあげようと思って。

 

――私たちの年齢って、「働き方改革」や「コンプライアンス」という言葉が世の中に広まってなかった時期から社会に出始めて、数年経った頃にそういう時代が始まったから、上の世代の気持ちもわかるし下の世代の気持ちもわかるという、まさに〈挟まれた 半端もんさ〉という歌詞の通りだなと思って。もちろん、社会の悪い慣習や理不尽なことは次の世代に引き継がないように根絶していきたいけど、「これで大丈夫なのか?」と思う場面もありますよね……これは難しい。悩んでいる人が今いっぱいいる気がします。

 

ヒグチアイ:「自分がされたから、人にはしたくない」と思っている人が大半だと思っているけど、「ここまでなら伝えても大丈夫」というラインがだいぶ下のところにあって、「これでもダメなんだ? どうしたらいいんだろうな」って思うことが私にもあって。本当にヤバいパワハラをしているやつはヤバいけど、事故みたいに「この人に当たっちゃったから、こんな大ごとになっちゃったんだな。このあとこの人はクビになっちゃうのかな」っていう人もいる気がして。この曲を聴いて「なんでこんなことを言うんだろう、私はパワハラを受けたのに」という人もいると思うけど、私の立場としては、こっち側についてしまう自分がいるっていうことを表明したいのかもしれないです。それは、自分が頑張っているという自負もあるというか。「楽しそうにやってる」みたいな感じで思っている人もいるかもしれないけど、どういう世界でも、耐えなきゃいけない部分は頑張らないと、続けられないし上にも行けないんじゃないかなって思うから。


"今日は昨日よりつま先を明日に 見捨てない わたし "(わたしの代わり) 


――そうやって歌う“エイジング”のあとに、“わたしの代わり”を出したのがアイさんの優しさだなって思いました。声をあげる人にも、耐えて頑張っている人にも、「自分はダメだ、弱いんだ」「今日も何もできなかった」と思う日はあるはずで。どちらにも寄り添う言葉だなって思いました。

 

ヒグチアイ:本当にそう。“エイジング”みたいな気持ちになる日もあるけど、“わたしの代わり”みたいな気持ちになる日もあるし、両方あるんですよね。両方持っていていいと思うし。そういうものだと思っているから。

 

――本当に、濃いアルバムが完成しましたね。11月から始まる全国ツアー『HIGUCHIAI solo/band tour 2025-2026 “ただわたしがしあわせでありますように”』は、どんなものにしたいですか?

 

ヒグチアイ:今回はわかりやすく盛り上がるような曲がないので、心の内側で聴いてもらえればいいなって。今回、ジャケットにも「クイーン」「女王」みたいな感じを出したんですけど、気品のあるライブにできたらいいのかなと思っていて。弾き語り公演からツアーがスタートするので、自分が曲を作るときの原型である「ピアノと歌」という形から、どんどんアレンジされていく過程を見てもらえるんじゃないかなと思います。

 

――会場を出るときには「私こそがクイーンだ」って思えるくらい、自分を大事にする気持ちを持って帰ってもらえるライブになりそうですね。

 

ヒグチアイ:帰るときには背筋がすごく伸びているような、胸を張って「私」と思えるような、そんなライブにします。



 
 
 

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