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[SPECIAL] 兵庫慎司が「私宝主義」を聴いてヒグチアイに訊いた

  • 執筆者の写真: ヒグチアイ
    ヒグチアイ
  • 10月28日
  • 読了時間: 13分

更新日:10月29日




 

タイアップや曲提供等の機会に接点を持った人、普通にリスナーとして聴いてピンときた人、昔から一緒に仕事をしてきた人など、アレンジャー/プロデューサーを「この曲ならこの人」というような按配で、総動員したこと。

そして、既出のタイアップ曲以外に、「“独り言”三部作」と銘打って、新しく書いて先行リリースしてきた3曲「エイジング」「わたしの代わり」「バランス」が、存在すること。そして、他の新曲も、基本、その線に沿って書かれていること。

ヒグチアイのニューアルバム『私宝主義』が、過去の数々の傑作を超える、「極めて豊か」で「極めて濃い」作品になった理由は、そのふたつだと思う。このインタビューでは、その後者をテーマに話を訊いた。


インタビュー・テキスト:兵庫慎司


「最低でもふたりは絶対にそう思ってる」みたいなところに、逃げていた

 

──アルバムとしては2年ぶりですけど、曲のリリースは、わりと切れ目なく続いていましたよね。タイアップ等で。

 

ヒグチアイ:はい。タイアップがすごく多かったし、人に提供する曲も多かったので。基本、何かはずっと書いてる感じでしたけど、タイアップだと、やっぱり、もともと自分のところから出てきたものじゃないので。誰かの思いが最初にあって、そこからのものなので、自分発信の曲も書かなきゃいけないな、っていうのがあって。それで、「三部作」を出そう、っていう話になった気がします。

 

──そういう曲は、しばらく書いていなかった?

 

ヒグチアイ:そうですね。すごい久しぶりに書いて、なんか書きづらかったです。前は全部そうやって書いていたはずなのに、自分のために曲を書くっていうのはすごい難しいですね。自分の意見をひとつにまとめる、っていうのが難しかった。

 

──だいぶ前に、身を削って自分を切り売りして曲を書くのがもうしんどい、なので違う方法でも書き始めました、っておっしゃっていた時期があって。

 

ヒグチアイ:はい、はい。

 

──それ以降、コンスタントにタイアップが来る人になった、だから渡りに船だった、みたいに見えていたんですね。

この方法でも書ける、しかも人が依頼してくれる、書けば喜んでくれるし、そしてヒットしたりもする、みたいなね。

 

ヒグチアイ:うんうん。それで書いていけたら、楽だな、っていうか……楽ではないんだけど、それはそれでけっこう大変なんだけど、自分の曲って、「自分はこういうふうに思っているんです」っていうことを、言わなきゃいけないじゃないですか。その責任を取るのが、どんどんしんどくなっていくというか。「私、こんなふうに思ってるんだけど、どう?」って言った時に、「いや、全然理解できない」っていうふうになることが未だに怖い。

でも、タイアップに関しては、私と、原作者なり脚本家なり監督なりの、最低ふたりは、その曲で言うことについての責任を持てるわけじゃないですか。

 

──それはそうですね、はい。

 

ヒグチアイ:だから「最低でもふたりは絶対にそう思ってる」みたいなところに、逃げていたんだな、っていうのは、タイアップの曲を書いていて、思うところですよね。

だから、自分の思いを出すことへの恐怖みたいなのを、久しぶりに感じながら書いたんで……18年ぐらい音楽をやって、曲を書いていますけど。昔ってそんなこと思わずに、「自分がこう思うからこれでいいんだ」って曲を出してたけど、やっぱ大人になると、それによって傷つく人がいるんじゃないか、とか。

家族とかも……昔は、家族に思うことも歌にしてたけど、そうすると家族が傷つくんじゃないか、とか。っていうのを気にし始めて、曲が書けなくなっていくというか

 

──あと、きっと、社会状況の変化もありますよね。何かを主張するとすぐ叩かれる、という。

 

ヒグチアイ:いや、ありますよ。ほんとに叩かれたくないですよね。

 

──今の20代から30代前半ぐらいまでのバンドって、これまでの日本のロックの歴史の中で、たぶんいちばんラブソングが多いと思うんですけど。たぶんあれが、いちばん誰にも叩かれない方法なんだろうなあと。

 

ヒグチアイ:ああー。

 

──という中で、ヒグチアイは闘っているなあと。

 

ヒグチアイ:それはめちゃくちゃありますよね。自分が今10歳若かったら、全然ラブソングだけで行ってただろうな、と思うし。でも、その、叩かれる叩かれないみたいなところを気にせずに、ずっとやってきてしまった、という過去があるので。そもそも、自分には合わないし。

ただ、怖いは怖いですからね。叩かれた経験、ありますけど……スタッフとかの誰よりも、私がいちばん最初に見つけるんで。叩かれているのを見つけた時の、指先から熱がなくなっていく感じというか、息がヒュッてなるっていうか。あの感じは、あんまり経験したくないんですけど。でも、それでも、芸術は自由だ、ということを信じて、書いてるところはありますよね。

 

それが、世の中的に正しくないことでも、

言うことを止められない

 

──そうだし、その「芸術は自由だ」っていうことを守らなくちゃいけない、というのも──。

 

ヒグチアイ:それはほんとにそうです。それは誰かがやらなきゃいけないし……ただの物語、ストーリーみたいな、自分の現実ではないドラマを楽しむ感じの音楽が、増えてるわけじゃないですか。そうじゃなくありたいな、とは思ってますけどね。

そういう自分の思い、自分の考えを……自分の思ってることを赤裸々に書くことで、人をびっくりさせたい、っていう感覚は、ずっと持っている人間ではあるので、

「よくそんなに赤裸々に書くね」とか、「恥ずかしくないの?」とか言われることもあったんですけど。そこのリミッターみたいなのがずれているらしい、そこが自分が人と一緒になれないところだったような気がするから。それが未だに残ってるとしたら、自分のアーティスト性みたいなものはそこに託したいな、って思ってるところはありますよね。

 

──で、タイアップ等で経験を積んだこともあって、そことは違う筋肉でいい曲を書くこともできるようになったのに、やっぱりそこは捨てられない。

 

ヒグチアイ:捨てられないですね。たぶん、自分が言いたいことを言うってことが、何よりも大事だと思ってるから、なんですよ。自分が思ったことを自分の言葉で伝えることが、自分の正しさだと思ってるんですよ。それが、世の中的に正しくないことでも……それによって誰かが傷ついたりとか、自分が傷ついたとしても、言うことを止められない、みたいなところが未だにあるんでしょうね。

 

──止められないし、止めてはいかん、という。さっきも言ったように、世の中全体は、止める方向にどんどん進んでいるので。

 

ヒグチアイ:そうなんですよ。なんか、天邪鬼みたいなとこがあるのかな。世の中的に正しくないことを大声で言い始める人が増えたら、もしかしたら自分は正しいことを言うのかもしれないけど。自分が音楽をやっていて、今のところ、そんな世の中にはまだ出会っていないので。このやり方が変わらないというか、少数派みたいなところに光を当てたくなってしまうんでしょうね。

 

──自分が言わないと、誰も言ってくれないし。

 

ヒグチアイ:言ってくれないですね。特に私、あんまり芸術的な素養がない、と言ったらあれなんですけど、言葉を何かに喩えたりとか、しないんですよ。

 

──抽象的ではないですよね。

 

ヒグチアイ:なんか、そういう抽象的な音楽って、ほんとに増えたなと思っていて。抽象的な言葉で、韻を踏んだりとか、言葉も音楽の一部にしてやってる人とかも、すごい増えて。そのまんま思ってることを言ってる感じのものが、だいぶ減ったな、って。

 

──ヒップホップくらいですかね。

 

ヒグチアイ:あ、ヒップホップは多いですね、うん。でも、ポップスの中には、いなくなってきてるような。なんでなんでしょうかね。ひとつは、流行りじゃないっていうのは、あるような気がしますけど。でも、自分がやり続けているのは、流行りじゃなくて、結局、自分がやりたいからなんですよね。こういうことを言いたいんですよね。で、言われたかったのかな。こういうことを、そばで言ってくれる人がいたらよかったな、とも思うし──。

 

──あるいは、そういう歌があれば、そういう本があれば、そういう映画があれば──。

 

ヒグチアイ:特に、歌ってけっこう勝手だから、自分が好きなように受け取っていいじゃないですか。だから、聴いた人がちゃんと自分で見つけた答え、っていうふうになるような気がして。

私が勝手に歌ってることを、誰かが聴いて、そこからその人が勝手に自分で見つけた答えを受け取れる、みたいなのは、音楽のいいところだなと思うので。だから、私は勝手に垂れ流すという役割を、やり続けなきゃいけないかもな、とは思ってます。

 

──そして、そのヒグチさんが歌で言っていることは、たとえば若い頃、今ほどキャリアがなくてまだいろんなことを知らなかった頃よりも、今の方がハードだし、激しい気がします。

 

ヒグチアイ:そうかもしれない。昔って、自分が何事にもイライラしてたからなりふり構わず怒ってたんですよ。だけど、年齢を重ねると、自分の感情が先に来るんじゃなくて、物事が先に来て、それに対してイライラするので。だから、すごく辻褄が合ってる状態で怒ってる、なぜ自分が怒っているのか理解できてるから、曲にしやすい、っていうのは、ある気がしますよね。

 

──まあ確かに、10代や20代前半の頃の怒りよりも、今の怒りの方が、重たいですよね。

 

ヒグチアイ:重たい。本当に重たくて、なんか何の答えも出ないことが多くて。若い頃みたいに、身近な人に怒っていて、それを伝えたい、とかならいいけど。答えが出なくて、それに対して怒っていてもしょうがない、でも怒らざるを得ない、みたいなことに対して、曲にしてしまう年齢には、なってきてるよなって思うんですよね。ほんとに、答えの出ない怒りが多くなってるな、って思います。

 

──今回、曲がなかなか書けない、とかはありました?

 

ヒグチアイ:めちゃくちゃありましたよ。三部作を、このアルバムに向かって書いてる時にも、別で違う曲を書かなきゃいけなかったりもして。とにかく歌詞は、レコーディングの前日までできない、みたいな感じだったんですけど。昔よりも、「もうちょっとこういうふうに書きたい」っていうのが強くなって。前だったらこれでよかったけど、今はこれだとちょっと許せない、みたいな。自分の中でハードルを上げ続けてる感じはしますね。

 

いい悪いではなく、もうその人自体、

すべての私が宝物である

 

──アルバム・タイトルの『私宝主義』は、どんなふうに思いついたんですか。

 

ヒグチアイ:ええと、けっこう考えましたよ、これも……あ、そう、実家がなくなる、っていうことがあって。実家がなくなる時に、家の掃除をしに行ったんですよ。そしたら、昔の思い出のものとかも出てきて、そういうのを片付けてる時に、「自分がこういうふうに言われたかったな」っていうことが、すごい出てきたというか。「いい子だ」と言われて育って、もちろんすごいいい子にしてたんですけど。その、「いい子だ」と言われることによって、いい人間でいなきゃいけない、っていうことを、子供の時からすごい考えてきたので。

兄妹も当時仲が悪くて、私がバランスをとって、お母さんお父さんとも仲良くやって、みたいなことをしていて。だから、自分の意見とか、自分はこうしたい、みたいなのを持たなかったな、っていうことを、家を片付けながら思い出して。

けっこうそれで、久しぶりに落ち込んで……子供の時は、いい子だと言われることがすごいうれしくて、いい子でいれば褒めてもらえるんだ、っていうことを、ずっとくり返しくり返しやって、褒められてたし、問題を起こさない私、っていうことを、すごい大事に生きてきてたんですよ。だけど、今考えれば、そういうふうに生きてきたことで、こんなに自分が自分の意見を言いづらかったり、バランスを取ろうとしちゃう人間だったり、好きなものっていうのを……私、好きなものっていうのを認識したのが22歳ぐらいの時なので。

 

──どういうことでしょう?

 

ヒグチアイ:22歳ぐらいの時に、ボイトレの先生に言われて。自分は個性がない、みたいな話をしたら、「好きなものを集めたら個性になるから、好きなものを集めなさい」って言われた時に、「私、好きなものってなんだろう?」って思って探したのが、22歳で。

 

──それまでは、自分は何が好きだ、というのを意識せずに生活してきたということ?

 

ヒグチアイ:そうです、そうです。不思議ですよね。音楽も、好きな曲とかなかったんですよね。「この人がいいって言ってるから」とか、「世の中的に売れてるから」とかで。自分の判断で「好き」を決めることが、ほんとにできないな、って思ってたんですよ。それで、ほんとに自分が時間を忘れるほど没頭するようなものだったり、これだったら毎日食べたいものだったり、っていうのを考え始めたのが22歳だったので。

 

──その時は、とっくに音楽をやっているわけでしょ?

 

ヒグチアイ:やってました。

 

──音楽なんて、好き嫌いの最たるものじゃないか、と思うんですけども。

 

ヒグチアイ:うーん、いや、でもなんか、音楽に関しては、2歳の頃からやってきてたから、無意識みたいなものの中でできてるんですよ。それが自分のアイデンティティ、それがなかったら自分っていう存在は意味がない、っていう感じだったんで。

 

──あるのが必須で、好きとか嫌い以前のものだった?

 

ヒグチアイ:はい。音楽ができる、ピアノが上手だから母親に褒められるっていうことも、自分の生きる意味だったんで。音楽をやらない自分っていうのが、ない。みたいなことも、家を片付ける時に思って。「いい子だった」って言われて落ち込んだ時に……その言葉を生きがいにしてきたことで、今私は大人になって、「いや、そんなこと気にしなくていいんだよ」って言えるけど、その頃には、絶対にそっちを選べなかったなって。子供だから、わかんないから。

選べなかったことも全部ひっくるめて、「これでいいか」と思える自分にならなきゃいけないな、って思っていて。「でも、それがあったから今があるんじゃん」みたいな感じって、ほんとになんか、雑だなって思っちゃうわけですよ(笑)。正直、「それがない方が幸せではあったじゃん」って思っちゃって。

だから、そういう、自分が選べなかったことも全部ひっくるめて、それが自分の中にあるっていうことを認めながら、私という個人が、唯一無二の存在であって……いい悪いではなく、もうその人自体、すべての私が宝物である。っていうふうに自分のことを思っていければいいな、っていう思いからの『私宝主義』です。

 

──ツアーのタイトルもいいですよね。『ただわたしがしあわせでありますように』。「花束」の歌詞の「いまだになじめないわたしが ただしあわせになりますように」からの──。

 

ヒグチアイ:実はこのツアー・タイトルが決まってから、歌詞に入れ込みました。これも、その家の片付けから来てるんですけど。「あなたが」とかじゃなくて、ただただ自分が幸せであるということが、まず第一に大事だ、っていうことで。あの頃の私が不幸せだとしても、ここからの私を幸せにしてあげなきゃいけなくて、その私が幸せであるための今の私である、っていう。誰かのことは考えなくてよくて、まずあなたの幸せのことを考えていいよ、っていう、自分にとっては前向きなタイトルではありますね。

ファンの人はびっくりしてましたけど。何人か、そういう反応はありました。でも、いいんです。これに対してドキッとする人もいるかもしれないけど、最低限の幸せのもう一個下の部分みたいなところ、地下みたいなところに「大丈夫だよ」って言ってあげたいんで。

その、普通に元気です、っていう人に対しての曲は、いっぱいあると思うんで、世の中に。何か欠けてる人に……「私以外の」とかじゃなくて、まずあなたが幸せになるべき、ということを伝えたいタイトルです。




 
 
 

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